このページの更新 10/16 17:05
月讀神社
由緒
月讀命(つきよみのみこと)、すなわち天月神命(あめのつきのかみのみこと)を祀る。貞観元年(859 年)正月に従五位上。『三代実録』は貞観十四年(872 年)に宮主の伊岐宿禰是雄(いきのすくねこれお)の卒去を記す。是雄は壱岐島の人で、もとの姓を卜部(うらべ)といい、始祖の忍見足尼命(おしみのすくねのみこと)以来、代々、亀卜(きぼく)をもって朝廷に仕えた。京都の松尾大社摂社の月読神社は、この社を本社とすると伝える。『神社覈録』は「月讀」に仮名の訓みを付しているが、複製の該当箇所が崩れていて確かめられない。『特選神名牒』も祭神を天月神命とするので、この座については二書に食い違いがない。
いまのどの社か
それでいて、いまの国分(こくぶ)の社に当てる根拠は薄い。国分邑の深淵(ふかつき)が「きよつき」と訛ったのを月讀に結びつけた比定で、延宝以前にはそこに社がなかった。式社沿革考は箱崎(はこざき)邑を採る。箱崎八幡宮の内殿の棟札に「箱崎月讀宮……正慶元年(1332 年)……大宮司 伊岐末茂」とあり、月讀神社は箱崎邑の宗社と同殿に祀られた神だろうという。いまも箱崎八幡神社は相殿に天月神命を祀る。延宝の査定も明細帳も長崎県式内社記も国分村を採るので、当てる村としては国分説が長く公のものだった。『特選神名牒』はそれを踏まえたうえで箱崎邑と定めてよかろうとし、箱崎邑の天月(あまつき)の里にある天月神社をその古社地とみる式社沿革考の見立てを添えている。国分と箱崎のどちらが正しいかを、当方は決めていない。