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住吉神社
由緒
底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神を祀る。貞観元年(859 年)正月に従五位下から従五位上を授けられたことが『三代実録』に見え、『扶桑略記』は延喜十八年(918 年)の太宰府解として、住吉明神の社が太鼓のように鳴動したと壱岐島が言上したことを伝える。『神社覈録』は住吉を須美乃江(すみのえ)と訓む。二十四座のうち名神大は、この郡の住吉・兵主・月讀・中津と、石田郡の天手長男・天手長比賣の六座で、これに大社の海神社を加えて島の大七座と呼ぶ。いずれも国史に神階の授与や名神祭への預りが見える古社だが、そのなかでもこの社は、貞観の神階と延喜の鳴動という二つの記事を国史の側から持つ。『特選神名牒』も底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神とするので、祭神については二書に異同がない。
いまのどの社か
明治四年(1871 年)に国幣中社に列した、壱岐で唯一の官社である。二十四座のうち、どの社に当たるかで争いの起きていない数少ない一座でもある。『特選神名牒』は明治期の所在を住吉村(那賀村大字住吉)と記す。二十四座の多くが、延宝の査定を疑う神社考や式社沿革考の異論を抱えているのに対し、この座については両書とも異説を並べていない。玄界灘の小島に官社が二十四も置かれたのは、島が古来 大陸との交通の要衝で、朝廷が国境の守りとして重んじたことのあらわれだと『特選神名牒』は説く。その要にあたる位置に、海の神を祀るこの社が置かれている。