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見上神社
由緒
貞観七年(865 年)七月に、壱岐島の正六位上見上神へ従五位下が授けられた。『神社覈録』は、この条が版本では脱文しており古本で補ったと断っている。いまの社は彦火々出見尊を祀る。『神社覈録』は見上に美乃倍(みのへ)という古点があるとし、祭神を詳らかでないとして御津羽実神とする説を採らない。『特選神名牒』も祭神の欄を空けたまま埋めなかった。国史に神階の見える座でありながら、祀る神が伝わっていない。
いまのどの社か
明細帳と長崎県式内社記は初山村の岳の辻を採る。式社沿革考は「承応記に湯岳邑とするのが正しいか。村の宗社である観上宮(かんじょうぐう)は延宝以前から式内と称した国幣十七社の一つで、近くに『みのうへ』の地名もあるから、観上宮こそ見上神社だろう」とし、『特選神名牒』もこの説には拠りどころがあるとしてこれに従った。『神社覈録』は初山(はつやま)村の三神(みかみ)明神に当てる。初山村と湯岳村のどちらを採るかで、岳の辻の「みのへ」と観上宮の近くの「みのうへ」という、よく似た二つの地名が向かい合うことになる。どちらも古点の音に重なるので、地名の側からはこの座を決められない。式社沿革考が湯岳邑を推すのは、地名ではなく、村の宗社が延宝より前から式内と称していたという別の拠りどころによる。『特選神名牒』がその説に従ったので、明治の書のなかでも、初山村を採る明細帳・長崎県式内社記と、湯岳邑を採る『特選神名牒』とに分かれている。