このページの更新 10/16 17:05
彌佐支刀神社
由緒
祭神を確かめる手がかりが乏しい。旧説は壹岐直眞根子(いきのあたいまねこ)、延宝の査定は日本武尊(やまとたけるのみこと)とするが、『特選神名牒』は、日本武尊説が尾張熱田神宮の摂社に八剣神社があるところから思い寄せたものだろうとして退けた。いまの社の旧称も八剣大明神である。「彌佐支刀」の四字は音を写した仮名書きにあたり、祭神を『神社覈録』は詳らかにしない。『特選神名牒』は旧説の壹岐直眞根子と延宝の査定の日本武尊を並べたうえで、いずれも明証を得ないとした。祭神を確かめる手がかりが乏しいのは、社名の四字が神の名とも地の名とも読めるためである。二十四座のうち、社名の一字の読み方が比定そのものを動かした座は、この座と石田郡の與神社である。
いまのどの社か
神社考はさらに社名の読み方から異を唱える。「延宝の調で志原村の八剣大明神を、『彌佐支刀』の『刀』を『劒』と考えて式内の彌佐支刀神社とした。だが『刀』は剣ではなく、海辺の出崎の渡(わたり)、すなわち御崎渡(みさきわたり)であり、その岬にある社だろう」。芦辺町史は、古名を砥宮(とのみや)という深江鶴亀触の比売神社を論社に挙げる。『神社覈録』は志原村の八剣(やつるぎ)明神に当てる。『特選神名牒』は明治期の社格を村社、所在を志原(しはら)村(石田郡志原村)と記し、式社沿革考が諸書の志原村説に従うのを見て、いまはその説を採るとした。神社考は「刀」を剣ではなく海辺の出崎の渡(わたり)と読み、その岬にある社だろうとするが、どの村のどの社かを名指ししていない。