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天手長比賣神社
由緒
天手長男神社と同じく、『文徳実録』嘉祥三年(850 年)十月に官社へ列した。祭神は栲幡千々姫尊を中心に、左に稚日女尊(わかひるめのみこと)と木花開耶姫命、右に豐玉姫命と玉依姫命を配する。神功皇后とする旧説は、住吉神社の軍越(いくさごえ)の神事に当社が関わることから出たもので、『特選神名牒』は信じがたいとした。『神社覈録』は天手長を前の座と同じく訓み、比賣は仮名書きとする。同書は祭神を明らかとしつつ、思兼命の子とする説を採らない。『文徳実録』嘉祥三年(850 年)十月の詔は、天手長比咩(ひめ)神を官社に列すとしている。『特選神名牒』は明治期の社格を村社と記す。
いまのどの社か
いまは天手長男神社に合祀され、古社地に苔むした鳥居と灯篭が残るだけである。灯篭には両社の名が刻まれている。芦辺町史は、まったく別に、芦辺町国分東触の國片主神社を論社に挙げる。『神社覈録』は物部村の八幡宮に当てる。『特選神名牒』は、式社沿革考が「承応記に当社を国分村と記すのが正しいか」とし、村の宗社である国片主神社の近くの「古国分明神」を旧社地とみて、いまの国片主神社へ遷ったものかとする説を引くが、証拠が明らかでないとして従いがたいとした。国片主神社を論社に挙げる筋は、明治の書の側にも江戸の書の側にもある。『神社覈録』が当てた物部村の八幡宮は、天手長男神社の比定で若宮の挙がるのと同じ村にあり、名の対になる二座がともに物部村へ寄せられていたことになる。
いまの社
- 天手長男神社合祀
- 天手長比賣神社(古社地)古社地
- 國片主神社論社