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中津神社
由緒
『神社覈録』は中津島姫命(なかつしまひめのみこと)を祭神とし、『旧事紀』により中津島姫命は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)であるとする。『特選神名牒』は、宗像の中津島に坐す湍津姫命(たきつひめのみこと)を移し祀ったものとみて、延宝の査定が瓊々杵尊(ににぎのみこと)と天兒屋命(あめのこやねのみこと)とするのを退けた。『神社覈録』は中津を奈加都(なかつ)と訓む。中津島姫命を『旧事紀』により市杵島姫命と同じ神とみるのが『神社覈録』、宗像の中津島に坐す湍津姫命を移し祀ったとみるのが『特選神名牒』の立場である。同じ宗像から出た神としながら、当てる女神が二書で分かれている。
いまのどの社か
『特選神名牒』の引く社記に「嵯峨天皇の弘仁二年(811 年)十月朔、壱岐郡新城村川須見のあたり、中津越の峰に鎮座した」とあり、社名はこの中津越の峰に由来するという。手長比賣神社の項では、勝本浦の聖母宮を中津神社とみる説も出てくる。『特選神名牒』は明治期の所在を新城村(香椎村大字新城)とし、社格を持たない社と記す。当てる村については両書とも新城村で一致するので、二十四座のなかでは争いの少ない座にあたる。ただし手長比賣神社の項では、勝本浦の聖母大明神を中津神社とみる式社沿革考の説が出てくるので、ほかの座の論の側から名指しされている。弘仁二年(811 年)の鎮座を伝える社記は『特選神名牒』が引くもので、二十四座のうち鎮座の年を伝える座は多くない。
幕末の島ではこう見ていた
幕末の地誌は、この社の祭神に括弧つきの疑いを残している。引くのは『若宮記』で、若宮大明神の御母を仲姫と申し、父は応神天皇、この皇后 仲媛命がいま垂迹して仲津宮大明神と申す、という。そのあとに「いま瓊々杵尊と称するは、何れか是ならむ」と一行だけ書き添える。どちらが是なのかと問うたまま、答えを出していない。社の歴のほうは具体である。享徳三年(1454 年)二月に造替があり、吉野末貞が大宮司だった。地誌はこれを嘉永五年(1852 年)から数えて三百九十八年前と書き、その後も折々に造替があったとする。社領は水田一畝七歩半。