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氏神と産土神はちがう
「氏神」と「産土神」を、いまはほとんど同じ意味で使います。『壱岐神社誌』の第三章は、この二つがもともと別のものだったところから説き起こします。
氏神とは、その氏族の祖先の神です。中臣氏が天兒屋根命を祀り、忌部氏が太玉命を祀るような関係をいいます。同じ族の人を氏人と呼び、氏人を束ねる者を氏の長者、または氏の上と呼ぶ。氏の上には、氏人を率いて祖先を祀る権がありました。祖神でなくとも由緒のある神を氏神として祀ることもあり、藤原氏が春日神のほかに鹿嶋・香取の神を氏神としたのがその例だといいます。
産土神のほうは、字のとおり生まれた土地の神です。産土も本居も「ウブスナ」と読み、その人が生まれた土地を守る神を指します。島の言い方の「ウマレウブスナ」「ウマレウブシン」は、この意味そのままだと後藤正足は書きます。理屈のうえでは、氏子は祖神から見た子孫、産子はその土地に生まれた者、と分かれるはずでした。
それが後年になると、祖神でもなく氏族に由緒があるわけでもない神まで氏神と呼ぶようになり、ついには産土神と氏神を同じものと見るようになります。産子まで氏子と呼ぶようになったのはそのためだ、といいます。混同は自然にだけ起きたのではありません。平野神社は古くから平氏の氏神でしたが、寿永年間には比叡山の鎮守である日吉神社を、延暦寺の僧徒の勢力を借りるために平氏の氏社としました。都合で氏神を選び直した例です。
荘園も産土神を動かしました。比叡山領には山王・八王子、男山領には石清水、東大寺領には正八幡、祇園社領には祇園社、真言寺領には熊野神。領家の祖神がその土地の産土神として祀られ、領家が入れ替わったあとも神だけが残ります。壱岐の三つの八幡宮や若宮、祇園社、熊野社、日吉山王のなかにも、この筋で起こったものがあるだろう、と後藤は見ます。ただし各村にある伊勢宮・祇園社・疱瘡神や、一村一社の稲荷には、江戸幕府の時代より後の創建も少なくないと釘を刺しました。
氏寺についてはあっさりしています。藤原氏にとっての興福寺のように、一門が帰依した寺を氏寺と呼ぶ。しかし壱岐には、古来これと見るべき氏寺がまったく無かったらしい。その一行で終わります。
そこから第三章の結論が出ます。壱岐の社は、本来 氏神として鎮座したものではない。崇敬から祀られた神か、皇室と国家に功のあった神を追って敬うために祀られたものが多い。国司が任地へ自分の氏神を連れてきた例や、任期を終えて島に住みついた者が郷里の氏神を勧請した例も絶無とは言い切れないが、いずれも確かめようがない。住吉神社・兵主神社・聖母神社は神の功績を敬って国として祀ったもの、月讀神社は氏族の崇拝から起こったもの、海神社もその末の一族が追って崇めたものらしい。そう例を挙げたところで、後藤は筆を止めます。
原文から
産土、本居ともに「ウブスナ」と訓む。すなわち各自の本居、換言すればこれ各人の産地の謂にして、産土神は、まさにその産地を守る神である。
我が壱岐には古来、その氏寺の見るべきものはまったく無かったらしい。
我が壱岐の神社は本来 氏神としての鎮座なく、ただ崇敬上の神祇、または皇室国家に功勢を積みし偉神などを追敬するための鎮斎が多きを占めるもののごとし。