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玉泉寺の三不思議
長嶺村の萩野岳に萩尾山玉泉寺があります。本尊は薬師の座像で、脇に日光と月光の立像、その周りに十二神将の立像が並びます。作者は知られないが、京都の仏師にたずねたところ「洛陽の稲葉薬師と同じ作」と言われた、と『壱岐名勝図誌』は書いています。開山は寒窓静安和尚で、時代は分からないとも書きます。
この寺の記事には「玉泉寺の三不思議」という小見出しが立っていて、『見好書』から三つの話が引かれています。いずれも十二神将が動きます。
一つめは火事の話です。山から出た火が焼け広がり、寺までもう危ないというところへ人が駆けつけましたが、大火なので人の力では手に負えない。そこへ神が十二人、手に手に柴を持って現れ、またたく間に火を打ち消した。不審に思って後を追うと、殿へ入っていく。追った人も中へ入ってみると誰もいない。よく見ると十二神将が手足を出しており、その手足に焼け跡と灰がついていた、というのです。火の出た場所は焼野原と呼ばれるようになったと書き添えられています。
二つめは盗人の話です。寺に入った盗人が釜を取って頭にかぶり、一晩じゅう逃げようとしたのに寺から離れられない。夜が明けて見ると、十二神将が取り囲んで立っていた。盗人は釜をもとの場所に置いて、恐れて逃げ去りました。
三つめは衣布の話です。寺から布三端を盗んだ男が、町の店へ売りに行きます。店の主人にどこから来た品かと問われ、自分で買って寺へ送る布だと答える。しばらくして主人が、この布は質に取ったものだ、と言い出す。男が、なるほどあの寺で取った物だ、と口を滑らせたところで、十二人の小僧が前後に立ちまわり、これはおまえの布ではない、寺の衣布だ、明後日には取り返すぞ、と大笑いした。恐れた主人は布を寺へ送り、それはちょうど三日めだったといいます。小僧というのは十二神のことである、と結ばれます。
三つを並べたあとに、撰者は自分の言葉を書き添えています。薬師仏が玉を持って法灯をかかげ、善神たちがそれぞれの才で働く。霊仏であるから書き留めておくのだ、という一節です。話の真偽ではなく、書き留める理由のほうを書いているわけです。
同じ玉泉寺の記事には、まったく調子の違う話も続いています。弘治元年(1555 年)のころ、波多隆という人が家来の馬渡弥八左衛門と忍び出て隠れていたが、六人衆のために討たれ、家来も殉死した。この霊は祟りが多いので、寛永のころ隆守大明神として祀られ、いま爾自神社の地にある、と書かれます。二人の位牌は玉泉寺にあるとも記されていて、不思議話と土地の記憶とが、一つの寺の項に並べて置かれています。
原文から
長峯玉泉寺の薬師十二神は仏作にして霊験がある。
たちまち霊形の神十二人が手に手に柴をもって、一時のあいだに打ち消した。
十二人の小僧が前後に立ち巡り、「この布は汝の布ではない。寺の衣布である。明後日は取り返すぞ」と大笑いした。
大智の薬師仏は玉を持して法灯を挑げる。善神は活眼をひらいて各自に才能がある。霊仏であるゆえに記し置くのである。