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飢饉を祈った男の顛末

布気村の畠に残る塚は、飢饉を願った富者が教えのとおりに女を埋めた話とともに伝わります。

1861 年までに書かれた記述をもとにしています。いまも同じものがあるとは限りません。所在と地図は各スポットのページにあります。

布気村の百合草畠山の項には、山の寸法ではなく、一つの話がまるごと入っています。書き出しは、むかし高山という所に凶者があった、というものです。

その男は、自分が富んでいることを喜んで、他人に施しをしませんでした。地誌は、無道第一である、と短く評しています。撰者がここまではっきり人を評する例は多くありません。

そのころ世の中が飢饉でした。男はそれを幸いと思い、飢饉が続くようにと長いあいだ祈った、と続きます。米の値が上がれば、蓄えのある側が得をする。祈りの中身がそういうものだった、ということです。

そこへ、ある人が方法を教えます。飢饉を祈るには、さまざまな供え物を百合に入れ、女に担がせ、穴を掘ってその女を入れ、穴のまわりに十二膳の珍味を置いて、そのまま埋めるのがよい、と。男はたいそう喜んで、教えのとおりにしました。

結果は、望んだものとは逆でした。埋められた女の霊が祟りをなし、男の子どもは人に討たれ、家は次第に貧しくなって、一日の食べ物にも困るようになった、と地誌は書きます。飢饉を祈った者が、自分の家に飢えを招いています。

そのあとに、山伏の一段が続きます。ある時、彦山の山伏が訪ねて来ました。布施は出ません。山伏は怒って帰りぎわに法螺貝を一つ吹いた。男はこれに憤り、白刃をかざして出て来ます。山伏は驚いて逃げましたが、追いかけられて切り殺されてしまいました。

結びは一行です。このような無道の者だったので、天罰を受けて辛い目を見、命を終えたとかや、と。そして最後に、その女の塚というものが、いま畠の中にある、と書かれます。話の登場人物は誰も名を持たず、地名だけが残りました。畠の中の塚が、この長い話の唯一の物証として置かれています。

原文から

我が富めるを悦んで他に施しをなさない。

巻之二十一 布気村之部(百合草畠山・高山の凶者と山伏)

そのころ世の中が飢饉であったのを幸いと思い、飢饉を祈ること日久しい。

巻之二十一 布気村之部(百合草畠山・高山の凶者と山伏)

かかる無道の者であったので、天罰を蒙って辛い目を見、命を終えたとかや。

巻之二十一 布気村之部(百合草畠山・高山の凶者と山伏)

かの女の塚というものが、いま畠の中にある。

巻之二十一 布気村之部(百合草畠山・高山の凶者と山伏)

出典: 『壱岐名勝図誌』文久元年(1861年) 巻之二十一 布気村之部。いずれも保護期間の満了した著作で、現代語に起こしたのは ikijima.com です。

ほかの読み物: 栄螺を取ろうとした姉 / 蛇の妻が残した刀

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