このページの更新 10/16 16:05
栄螺を取ろうとした姉
新庄村の野口山の項に、石畠の中の塚が出てきます。周囲九間、高さ一丈。地誌はその寸法を書いてから、村の年寄りの伝えを写します。
むかし、この場所にゆくら長者という者がいました。六反田から、ゆくら畠まで、栄螺淵を越えておよそ一百五十間ほどの掛け造りを構えて住んでいた、と書かれます。谷にまたがるように屋敷を建てていたことになります。
その長者には、二人の娘がいました。ある日、姉妹を連れて縁側に出て川辺を見ると、栄螺が一つありました。妹が姉に、あの栄螺を取ってちょうだい、と言います。
姉は承知して川辺へ下り、取ろうとしたその時、何かは分からないものが水の中へ引き込んでしまった、と続きます。何に引かれたのかは、最後まで書かれません。地誌は、何かは知らず、とだけ記して先へ進みます。
長者は嘆いて、姉の体を長崎という所に葬りました。いまその塚を見ると、周囲三十間、高さ二間ばかり。水田から十間余り離れていて、ゆくらという所から六反田までが一百五十間だ、と、ここでもう一度、寸法が置かれます。葬った場所と、屋敷の広がりが、同じ数字でつながる形です。
そして、その娘を隠した場所を姫御前塚と言う、と結ばれます。名は、亡くなった娘のほうではなく、隠した場所のほうに付きました。地誌は括弧の中に、いまでもこの場所の石を取ることを人は恐れる、と付け加えています。塚が名を残しただけでなく、手を触れない習わしまで残っていたわけです。
項の最後には、和合浜から天狗に石を運ばせて塚にした、という別の一行が付いています。石をどう運んだかについて、二つの言い方が同じ項に並んでいます。二人持ちや四人持ちの石だと書いたすぐあとに、天狗が運んだと書く。撰者はどちらも消さずに、そのまま残しました。
原文から
この長者に二人の娘あり。
妹姉にいいていう、かの栄螺を取りて給えと。
姉は諾い、河辺に臨みて取らむとせし時、何かは知らす水中に引き込む。
その女をかくせし所を「姫御前塚」というと。