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影向松と、もう一本の松
湯岳村の客上宮は、郷中の宗社であって、例祭は九月二十六日である。幕末の地誌はそう書きおこします。この社は項が長く、全部で八十四文あるのですが、当方の写しでは半分以上に読み取れない字が残っています。祭神の並び、社殿の造り、起こりの諸説、社号をめぐる考証。どれも読める文と読めない文が入り混じっていて、筋を通して追うことができません。だからここでは、その段には立ち入りません。
まとまって読めるところが、いくつかあります。一つは、撰者が諸説を並べたあとで投げ出す二文です。いずれが是であろう。諸説はともあれかくもあれ、古社である、と。どの説を採るかは決めないまま、古い社であることだけは動かない、という書き方です。
もう一つは祭のしつらえです。定祭には国守の代参があり、郷士が社参し、流鏑馬がある。享保八年(1723 年)に神輿の神幸があった、と読めます。項の結びには、毎年九月二十五日の夜に神楽があり、二十六日に国司の代参と奉幣があって、神輿が行宮所へ渡り、それから浮殿へ移り、流鏑馬と相撲があって還る、という段取りが並びます。二日がかりの祭です。
そして、この項でいちばん読みやすいのが、境内の松についての段でした。一本は「影向松」といいます。株の太さは一丈五尺あまり、高さはおよそ十丈ばかり、枝葉が繁茂している、と撰者は測ります。神が降りて姿を現すという意味の名が、そのまま木の名になっています。
もう一本の松は、どこに立っているかを述べた一文に読み取れない字があり、場所を書けません。読めるのは木そのものの姿だけです。株の太さは一丈一尺あまり。枝葉が南北に繁り、女男の相生である、と。男と女が寄り添う姿に見立てられた松だったのでしょう。撰者はそのあとに、まことに神霊も影向し給うたのであろう、と自分の感想を置き、続けて習わしを書きます。毎年 注連を引き、木綿四手をかけて祝い祭る、と。そして紀貫之の歌を一首そえました。世の中に久しきものは雪の内にもとの色かへぬ松にぞありける。
松の長寿をめぐる中国の書からの引きも続くのですが、そこは読み取れない字が多く、何を引いたのかが分かりません。形は竜のようである、号して「飛節之」という、という二文だけが浮いて残っています。何が竜のようなのかは、読めない側にあります。
なお、この項には機械で読み取れなかった文字が当方の写しに四十八文ぶん残っています。判読できた文だけを引用し、読めない文は本文でも扱っていません。落ちたのは、祭神と社殿、起こりの諸説、社号をめぐる考証、神戸の村々を並べた段、宝物と知行の一部です。
原文から
郷中の宗社であって、例祭九月二十六日。
「影向松」という。株の太さ一丈五尺余、高さおよそ十丈ばかり。枝葉が繁茂している。
株の太さ一丈一尺余。枝葉が南北に繁り、女男の相生である。
まことに神霊も影向し給うたのであろう。毎年 注連を引き、木綿四手をかけて祝い祭る。世の中に久しきものは雪の内にもとの色かへぬ松にぞありける 貫之