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鳥に持ち上げられた男
物部村の門の南に、斎ノ塔と呼ばれる場所があります。渡を去ること五十余間の、小高い岡の上でした。三間余り四方の石壇があり、その上に大きな松が生えている。地誌の書き出しは、その二つだけです。
次に、『壱岐廻』という書からの引きが置かれます。東は草根、南は平川、西は小弓屋敷、北は門を境とする眺めの良い地である、と。四方の境を名で示す書き方は、この本が村の広さを説明するときの型でもあります。
そのあとに、村の年寄りの伝えが来ます。むかし鳥取の法阿弥と、をつとりの又二郎という者がいた。谷に網を張って鳥を取ることを生業にしていた、というのです。二人が並べて出てくるところが、この伝えの形を決めています。
ある時、法阿弥が鳥を取って、自分の帯にはさみました。ところがその帯にはさまれていた鳥が生き返って羽根を伸ばし、法阿弥を持ち上げて空へ上がった。そして地に落ちて死んだ、と続きます。取られた側が生き返り、取った側を連れて上がって、二つとも落ちる。短い一文の中で、立場が二度入れ替わります。
そこで、その場所に墓を築いて斎塔と名づけた、と結ばれます。塚の名の由来を語る話として読めば、これで完結です。ただし伝えはもう一つの塚を添えます。そこから一町ばかり南に、追取の又二郎の塚がある、と。二人で網を張っていたうちのもう一人にも、別の塚が残っていたことになります。
又二郎の塚については、地誌は一行しか書きません。松の木が生えていて、人が恐れて枝も葉も取らない、と。何があって恐れられているのかは書かれていません。法阿弥の側には空へ上がったという筋があり、又二郎の側には、枝を取らないという振る舞いだけが残っています。
この項のあとには、草振という水田の名、山神の祠、大刀塚、堤が二つ、と物部村の地名が続きます。鳥を取る二人の話は、そういう並びの中にはさまって書き留められました。撰者はこの伝えについて、奇であるとも作り話であるとも書いていません。村の年寄りがそう言う、とだけ記して、次の地名へ進みます。
原文から
方三間余の石壇にして、上に大松が生えたり。
村老いう。むかし鳥取の法阿弥、をつとりの又二郎という者あり。たにあみをはり、鳥を取るを業とす。
しかるにその帯にはさまるる所の鳥が蘇生て羽根をのばし、法阿弥をひろて空にあがりけるが、地に落ちて死す。
すなわちその所に墓を築きて「斎塔」と号く。