このページの更新 10/16 16:05
日本の神祇ではない神
黒崎村の巻に、唐人神野という項があります。書き出しは土地の測り方からです。『続風土記』を引いて、東は名切の久保野と志和畠まで、西は袖取川まで三百二十一間余、南は崎野原まで、北は鷲巣と久保田まで二百二十三間。いま芝ばかりが生えている所は東西二百三十三間、南北八十四間半。頂には松林があり、その中に石垣がある。石垣の中に小さな祠と小さな鳥居がありました。
そこで撰者は、この祠について一文を書きます。俗に唐人神と呼んでいる。日本の神祇ではなく、外つ国の流れの霊である、と。神社の項が並ぶ地誌の中で、これは異例の断り書きです。祭神の名を挙げる代わりに、この国の神ではないと先に言ってしまいます。
ところが、そう書いたすぐあとに続くのは、否定ではありません。それでも往々にして霊験がある。だから遠近の男女が自然に信仰して願を掛け、参詣はことに正月と七月の七日に群れ集まる、と。神の出どころと、人の参り方が、同じ段の中で並べて書かれています。
由来として、村に伝わる話が写されます。むかし黒崎に唐船が漂着して、居据わって動かなくなった。いまの唐船崎がそれである、と割り注が付きます。その碇が二つ海の中にあって、いまも「いかりね」と呼ぶ、とも。動かなくなった船から、地名が二つ生まれています。
そのあとが、この祠が立てられた理由です。その後、唐船の磯へ行く者は石に化けてしまう、あるいは必ず祟りがある。それで里の人が誓って、老人に唐人神として祭らせた、と書かれます。別の言い伝えも添えられています。老人が磯へ行って石を手籠に入れて持ち帰り、それを唐人神として祭った、と。祭ったのは老人であるという点は、どちらの伝えでも変わりません。
項の終わりは、また眺めに戻ります。唐人神という所は切り立った崖の孤絶した場所で、西の海に向かった景色の良い地である。この頂から南は遠く平門・生属・小徳賀・五島が見え、西は対馬の根が遠く見渡され、知らない高麗も波間から見えそうな心地がして、言いようもない景勝である、と。
漂着した船と、その船を祭った祠と、対馬の向こうまで見渡せる崖。この三つが一つの項に収まっているところに、島から海を見る目の位置が出ています。撰者は最後まで、この神を日本の神として扱い直しはしませんでした。外から来た霊であると書いたまま、参る人の多さと、そこから見える海の広さを並べて項を閉じています。
原文から
俗に呼んで「唐人神」という。日本の神祇ではなく、蕃国の流霊である。されども往々に霊験がある。
ゆえに遠近の男女が自然に信仰して誓願をなし、参詣はことに正月・七月の七日に群集する。
その後、唐船の磯に至る者は化して巌となる。あるいは必ず祟りがある。
一にいう、老人が磯に至り、石を手籠に入れて帰り、唐人神とまつった。