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日本の神祇ではない神

黒崎の岡の松林の中に祠が一つあり、地誌はそれを、この国の神ではないとことわったうえで書き留めます。

1861 年までに書かれた記述をもとにしています。いまも同じものがあるとは限りません。所在と地図は各スポットのページにあります。

黒崎村の巻に、唐人神野という項があります。書き出しは土地の測り方からです。『続風土記』を引いて、東は名切の久保野と志和畠まで、西は袖取川まで三百二十一間余、南は崎野原まで、北は鷲巣と久保田まで二百二十三間。いま芝ばかりが生えている所は東西二百三十三間、南北八十四間半。頂には松林があり、その中に石垣がある。石垣の中に小さな祠と小さな鳥居がありました。

そこで撰者は、この祠について一文を書きます。俗に唐人神と呼んでいる。日本の神祇ではなく、外つ国の流れの霊である、と。神社の項が並ぶ地誌の中で、これは異例の断り書きです。祭神の名を挙げる代わりに、この国の神ではないと先に言ってしまいます。

ところが、そう書いたすぐあとに続くのは、否定ではありません。それでも往々にして霊験がある。だから遠近の男女が自然に信仰して願を掛け、参詣はことに正月と七月の七日に群れ集まる、と。神の出どころと、人の参り方が、同じ段の中で並べて書かれています。

由来として、村に伝わる話が写されます。むかし黒崎に唐船が漂着して、居据わって動かなくなった。いまの唐船崎がそれである、と割り注が付きます。その碇が二つ海の中にあって、いまも「いかりね」と呼ぶ、とも。動かなくなった船から、地名が二つ生まれています。

そのあとが、この祠が立てられた理由です。その後、唐船の磯へ行く者は石に化けてしまう、あるいは必ず祟りがある。それで里の人が誓って、老人に唐人神として祭らせた、と書かれます。別の言い伝えも添えられています。老人が磯へ行って石を手籠に入れて持ち帰り、それを唐人神として祭った、と。祭ったのは老人であるという点は、どちらの伝えでも変わりません。

項の終わりは、また眺めに戻ります。唐人神という所は切り立った崖の孤絶した場所で、西の海に向かった景色の良い地である。この頂から南は遠く平門・生属・小徳賀・五島が見え、西は対馬の根が遠く見渡され、知らない高麗も波間から見えそうな心地がして、言いようもない景勝である、と。

漂着した船と、その船を祭った祠と、対馬の向こうまで見渡せる崖。この三つが一つの項に収まっているところに、島から海を見る目の位置が出ています。撰者は最後まで、この神を日本の神として扱い直しはしませんでした。外から来た霊であると書いたまま、参る人の多さと、そこから見える海の広さを並べて項を閉じています。

原文から

俗に呼んで「唐人神」という。日本の神祇ではなく、蕃国の流霊である。されども往々に霊験がある。

巻之十九 石田郡黒崎村之部(唐人神野)

ゆえに遠近の男女が自然に信仰して誓願をなし、参詣はことに正月・七月の七日に群集する。

巻之十九 石田郡黒崎村之部(唐人神野)

その後、唐船の磯に至る者は化して巌となる。あるいは必ず祟りがある。

巻之十九 石田郡黒崎村之部(唐人神野・俗間の伝え)

一にいう、老人が磯に至り、石を手籠に入れて帰り、唐人神とまつった。

巻之十九 石田郡黒崎村之部(唐人神野・俗間の伝え)

出典: 『壱岐名勝図誌』文久元年(1861年) 巻之十九 石田郡黒崎村之部。いずれも保護期間の満了した著作で、現代語に起こしたのは ikijima.com です。

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