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韓櫃に納めた大般若経

国分村の観音禅寺には、四つの唐櫃に納めた大般若経がありました。撰者が見たときには、櫃ごとひどく傷んでいます。

1861 年までに書かれた記述をもとにしています。いまも同じものがあるとは限りません。所在と地図は各スポットのページにあります。

国分村の浦上山観音禅寺は、十一面観音の坐像を本尊とする寺です。幕末の地誌は、客殿と廊下と庫裡と玄関の桁と梁を一つずつ測り、境内の間数を書き、開山を東陽宗遅和尚、享保八年(1723 年)に護国山の末寺となったと記します。国主からの寄附状は五通あり、元和三年(1617 年)の三石を最初として、その後は二石ずつでした。

この項でいちばん長く扱われているのは、建物でも寺領でもありません。什物の大般若経です。四つの唐櫃に納めてあった、と撰者は書きます。そして経巻の裏書を写します。丹波国 船井郡 山内庄の六宮に伝わった経で、他所へ買い取らせてはならない、という文言です。紙の継ぎ目には板で判が押してあった、とも添えます。

唐櫃の足の裏にも銘がありました。慶安三年(1650 年)の卯月吉日、宮司と庄屋の名。ここまで書いたあとで、撰者は経巻も櫃もひどく傷んでいて全部は分からない、と断ります。そしてもう一つ、来歴を書き足しました。この経は、もとは天満宮にあったものを、近世になってこの寺へ移し納めたのだ、と。

『続風土記』からの引きが、その来歴を裏づけます。奥書に、天満宮の御廟殿へ納め奉る大般若の全文である、とあったといいます。年紀も残っていました。嘉禄三年(1227 年)三月二十六日に十六善神の像を移したこと。文永十年(1273 年)十月二十六日に、その所の神々への法楽のため外題を書き終えたこと。書いたのは台嶺沙門 良海という僧です。ほかに、法印 権大僧都 円亥という名も記してあったといいます。

ところが、その『続風土記』の引きも、最後の一文でこう結ばれます。いまこの経巻は損じて奥書が詳らかでない、と。古い書が読んだ奥書を、撰者はもう読めなくなっていました。裏書の文言と、櫃の足の銘と、六百年前の年紀とが、どれも同じ一組の経巻についていて、そのどれもが失われかけている、という書きぶりです。

なお、この項には機械で読み取れなかった文字が一つもありません。落とした文はなく、上に写した文はすべて当方の写しにそのまま残っているものです。

原文から

当寺は開山 東陽宗遅和尚にして、享保八年に護国山の末寺となる。

巻之五 壱岐郡国分村之部(浦上山観音禅寺の書き出し)

経巻の裏書にいう、「丹波国 船井郡 山内庄 六宮は田村の御経、他所へ不可奉買取」。紙の続き目に板にて押したり。

巻之五 壱岐郡国分村之部(浦上山観音禅寺・什物の条)

韓櫃の足の裏銘にいう、「慶安三年庚寅 卯月吉祥日、宮司 出雲守 庄屋 八郎左衛門代」。件の経巻は韓櫃ともに甚だしく損じて、全部 不詳。なお、元は天満宮にありしを近世 当寺に移し納めしとぞ。

巻之五 壱岐郡国分村之部(浦上山観音禅寺・韓櫃の銘)

いまこの経巻は損じて奥書 詳らかならず。

巻之五 壱岐郡国分村之部(浦上山観音禅寺・『続風土記』の結び)

出典: 『壱岐名勝図誌』文久元年(1861年) 巻之五 壱岐郡国分村之部。いずれも保護期間の満了した著作で、現代語に起こしたのは ikijima.com です。

ほかの読み物: 魔風の吹く山に経を埋めた / 池の中の島だったころ

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