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郡の名のもとになった十歩の田
石田村の後石田に、善女竜王の小さな祠があります。例祭は十一月十五日、上屋が拝殿を兼ねた茅葺で、鎮座の年は分からない。幕末の地誌はそう書いて、すぐ次のものへ移ります。移った先が、この項をおもしろくしました。
石田石です。後石田という所の畠のかたわらにあり、東西七尺、南北八尺五寸ばかりの岩はえだ、と地誌は測ります。岩はえというのは、地面から続いて頭を出している岩のことです。
ところが、そのすぐあとに別の説が置かれます。一説には、その石は「石田」という名の水田の中にあるのだという。ただし、いまその田の中に石は無い、と。同じ石について、二つの居場所が語られていることになります。
撰者はここで迷いを書きました。畠のかたわらにあるとはいうけれど、不審である。それでも、里の言うとおりに、これを測って定めるところである、と。疑ったうえで、目の前にあるものの寸法を書く。伝えのほうを削ることも、寸法のほうをやめることもしません。
そして最後に、田そのものが出てきます。俵田免に属し、大路から南へ三十間ばかりの所にある「石田」という水田。広さはわずか十歩、高は一斗三合。それがすなわち郡と村の名のもとである、と地誌は言い切ります。
十歩というのは、一反の三百分の一です。畳にすれば二十枚に足りません。その大きさの田に、郡の名の起こりが結び付けられている。田が先にあって郡が名を借りたのか、郡の名が先にあって小さな田が名を引き受けたのかは、書かれていません。
石と田と祠が、一つの項の中で三段になっています。祠は年が分からず、石は居場所が二説に割れ、田は郡の名の本だとされる。どれも確かめようがないものばかりですが、そのうち測れるものだけは、数字にして残されました。この本が村を書くとき、そこにあるものと、そこで言われていることを、必ず二段に分けているのが見えます。
原文から
東西七尺、南北八尺五寸ばかりの岩はえなり
一にいう、「石田」という水田の中にありと。いまその田の中には石なしという。
畠のかたわらにありといえども、不審けれど、里の説のまま、これを量り定むる所なり。
この水田はわずか十歩、高一斗三合ありと。すなわち郡村の名の本なり