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名の読みが訛っていく浦
黒崎村の牧野の北東に、母ヶ浦という小さな浦があります。浦の内は一百五十間、西を向いていました。
地誌はまず『続風土記』を引いて、名の由来は詳らかでない、と書きます。そのうえで、いまの俗に、ほうか浦と呼ぶのは訛りである、と続けました。文字で書かれた名と、口で呼ばれている名が、この時点ですでに離れています。地誌は文字のほうを見出しに立て、口のほうを訛りとして本文に落としました。どちらが古いかは、書いていません。
由来が分からないと断ったあとで、撰者は手がかりになりそうなものを一つ挙げます。浜から十間あまり沖に、夫婦石・老翁石・老女石などと呼ばれる瀬がある、というのです。人にまつわる名を持つ岩が並んでいるので、浦の名もそのあたりから起きたのだろうか、と考えて、いぶかしい、とだけ書いて止めます。断定しないまま、可能性を置いて次へ進む書き方です。
項の中ほどには『壱岐巡』からの引きが入り、里の人が誤って、ほうか浦と言う、と同じことが繰り返されます。そのあとに歌が二首、旅の衣と黒崎の汐干を詠んだものが並びます。
次に地形の話へ移ります。母ヶ浦から八十五間半、東の海辺に、一丈六尺ばかりの穴の空いた岩がある。里ではくくりかまと呼ぶ。人が作ったものではなく、自然にできたものだ、と地誌は記しました。
最後に、その穴について一つの伝えが置かれます。むかし井上平次左衛門という落人がこの中に隠れていた。追手が遠くへ引いたと思って外へ出たところを討たれた、というのです。名の由来は分からないまま、岩の名と、そこで人が死んだという話だけが残りました。項の中で確かなのは、浦の長さが一百五十間で、岩の高さが一丈六尺だということだけです。
原文から
いまの俗に「ほうか浦」というのは訛りである。
ただし浜より十間あまり沖に夫婦石・老翁石・老女石などという瀬がある。
母ヶ浦より八十五間半、東の方の海辺に、一丈六尺ばかりの貫通した石倉がある。
むかし井上平次左衛門という落人がこの内に隠れたが、追手が遠く退いたかと思い、立ち出て討たれたとぞ。