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螢が多いというだけの川
物部村の大原、その北の田のかたわらに、わずかな細流があります。幕末の地誌はこれを項に立てて、三つの文で終わらせました。里の言葉でこれを螢川と名づける。ほかの場所よりも、ことに螢が多いのだという。それだけです。
この本の川の項は、たいてい水源と長さと落ち口を測ります。同じ巻の別の川には、源はどこから出て何間流れ、どこで海に入る、と数が並びます。螢川にはそれがありません。測るほどの流れではなかったのでしょう。代わりに書かれたのが、そこに何が多いか、という一点でした。
地名の由来には型があります。地形から来るもの、人の名から来るもの、古い出来事から来るもの。螢川はどれにも当てはまりません。夏の夜に虫が多い、という毎年くり返される光景が、そのまま名として固まっています。
同じ項に続けて並ぶのは、田の名です。香椎神田は、水田七反五畝十七歩、高十三石九斗一升九合。これは聖母大明神へ寄せた田だったと言い伝える、と書かれます。筒城田は一反四畝、高二石九斗八升四合で、筒城八幡宮の寄田だった。だから名とした、と地誌はことわりました。諸吉田は二反八畝一歩、高七石六斗八升七合で、諸吉権現の寄田だったという。
三つとも、名の由来が同じ形をしています。かつてどこの社へ寄せた田であったか、それが田の名として残った。寄進そのものはとうに切れていて、地誌が書いているのは「なりしとぞ言い伝う」「なりしと」「なりしといえり」という伝聞ばかりです。
螢川の名と、寄田の名は、逆を向いています。前者はいまも毎年くり返される光景が名になったもので、後者は絶えてしまった関係が名だけ残ったものです。一つの項に並べたのは編集の都合でしょうが、村の名前というものが、続いているものと終わったものの両方からできていることは、この並びからよく見えます。
原文から
大原の北の田の傍に、わずかの細流あり。里言に「螢川」と名づく。余所よりことに螢の多きとぞ。
この水田七反五畝十七歩、高十三石九斗一升九合は、聖母大明神の寄田なりしとぞ言い伝う
この水田一反四畝、高二石九斗八升四合は、筒城八幡宮の寄田なりしと。ゆえに名とせり
この田二反八畝一歩、高七石六斗八升七合は、諸吉権現の寄田なりしといえり