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万葉の歌を、この浜に置く
初山村の南西に向いた海を、幕末の地誌は一項にまとめました。書き出しは距離です。坪から鷹の巣浜まで三百八十四間半、そこから粉方の浜まで七百九十間。東は「もゆたる」から西は「一つ石」までを小方と呼び、坤に向いた裏海である、と。
次に来るのが、そこから見えるものの列です。平島、金城、二神島、生月大嶋、平戸しま。海の項でこの並びが出てくるのは、その浜がどれだけ遠くまで開けているかを示すためです。名を挙げるだけで、それ以上は書きません。
そのあとに、歌が一首だけ置かれます。『万葉集』の巻十六から採ったもので、紫の粉滷の海に潜って玉を取る鳥が、玉をくわえて出てきたなら、自分の玉にしよう、という意味の歌です。地誌は原文を万葉仮名のまま写し、読みを添えました。
変わっているのは、そのあとに一言も説明が無いことです。なぜこの浜が、歌に詠まれた粉滷の海なのか。誰がそう考えたのか。ほかの土地との比べはどうなのか。どれも書かれません。項の名が「粉形海」であること、そして浜の名が粉方であること。その字の重なりだけが、歌をここへ置いた理由になっています。
この本の撰者は、ふだんはもっと言葉を足す人です。ほかの巻では、古い記録と目の前の地形を並べて、こちらの説は非であろう、と書き分けています。ここでは並べただけで手を止めました。
項の残りは、名の由来の並びに戻ります。一石浜は、海辺に大きな石があるから名とした。臍崎は、海辺にさし出た崎。円臍崎は、地から二十間離れた島で、松が茂り、形が臍のようだという。どれも、そこにある物か、その形から名が付いています。
並べてみると、歌だけが浮いて見えます。石があるから一石浜、臍の形だから円臍崎、という理屈は、その場に立てば誰でも確かめられます。歌のほうは、字が似ているという理由しか残されていません。地誌が土地の名を書くとき、確かめられる由来と、確かめようのない由来を、同じ項の中に並べていたことになります。
原文から
坪より鷹の巣浜まで三百八十四間半、それより粉方の浜まで七百九十間。
東もゆたるより西一つ石に至り小方という。坤に向う裏海なり。
平島・金城・二神島・生月大嶋・平戸しまがよく見ゆ。
松樹が生い茂れり、形ち臍のごとし